他人を羨ましく思うことは悪いことではない。
そこから生まれる原動力がある。
生きていれば誰もが抱く感情。
嫉妬、嫌悪、劣等感、敗北感。
それもこれも全部、自分自身から生まれる、
紛れもない自分の感情なんだと受け入れることが大切。
「こんなこと考えたらだめだ」とか「こんなことを思うなんて最低だな自分は」とか、
思わなくていい。
だって、この世の中にはまだ、
頭の中の考えを裁く法律は存在しないのだから。
頭の中は自由だ。
どんなことを考えたっていい。
嫌な上司を殺したって、好きなあの子を犯したって、
いっこうに構わない。
僕らに与えられた素晴らしい才能、
それが「想像力」だ。
誰にも奪われない。
私は小さい頃から、自分に襲いかかる困難を、
想像力で切り抜けてきた。
両親が大声で喧嘩をしているときは、
映画の中に入り込んだ。
現実の音が消え、私は主人公とともに、
テロリストに立ち向かう、1人のロス市警になった。
たとえ目の前で皿や醤油瓶が飛び交っていても、
私はテレビの中で、銃弾の雨をくぐり抜けることに必死だった。
初めて買ってもらったCDプレイヤーもそうだ。
両親はよく車の中でも大声で喧嘩した。
イヤホンから流れる槇原敬之の「Hungry Spider」
小学生の私は、この曲をBGMに両親の怒鳴り合う後ろ姿を眺めていた。
たまに音量を落としてみる。
まだ怒鳴り合っていると、またボリュームを上げる。
”今すぐ助ける”と言うより先に
震えた声であの子が
”助けて”と繰り返す
I’m a hungry spider you’re beautiful butterfry.
―槇原敬之『Hungry Spider』より―
映画と音楽が、私の友達であり、
麻薬であり、生きる糧だった。
あとは全部、灰色だった。
どんな絶望的な状況でも、
決して想像の火を絶やさない。
「諦め」とは、考えなくなることだ。
考えをやめれば、楽だけど、何もない。
考え続けてさえいれば、想像し続けてさえいれば、
必ず転機が訪れる。
私は信じている。
この世界は「想像力」で変えられる。
日々、想像する。
5年後の自分を。
隣にいるパートナーを。
食べ物の有り難みを。
生きている喜びを。