お葬式〜あとがき〜

お葬式のブログを最後まで読んでくれたみなさんありがとうございました。

いつも仕事終わりにカフェにこもって1時間文章を書き続けることが最近では日常化しつつある。

人は、いつか死ぬ。

死を肌で感じると、生を実感する。

葬式は、生きている人のための儀式だ。

死を受け入れ、死んだ人の分まで生きていくための心の準備をするためだ。

おそらく誰しもが自分の大切な人が死ぬ瞬間をこれから経験するだろう。

それは明日かもしれないし、5年後か10年後かもしれない。

そして、自分自身もいつか死ぬ。

そのとき、果たして自分という存在の、いったい何が残っているだろうか?

子孫?

作品?

信念?

自分の願望としては、死後の世界はあってほしいなぁ。

その方が楽しいから。

生きている時間はほんの一瞬だ。ましてや身体が充分に動く若い時間は風のように去っていく。

だから、世間の「年齢制限」に惑わされないで。勝手に諦めないで。あなたはこれから何かやりたいことを叶えるには充分な体力も知力もある。

私の書きたいことはいつも一貫している。

「この世は自分の考え方次第」ということだ。

「もう◯◯歳だからそろそろ落ち着かなければならない」とか「◯◯歳から新しいことを始めたってもう遅い」などと勝手に自分でそう思って、諦めているに過ぎない。

私たちは、なかなか死ななくなった世界に生きられてるんだよ?

昔と比べて、

なかなか餓死しなくなったし、なかなか凍死しなくなったし、なかなか感染症で死ななくなった。

私はいつも牛丼屋で牛丼食べてるときに思うんだ。

お腹が空いたなぁーって思ったらその辺の店に入って注文してすぐ食べ物にありつける。しかもその便利さが400円そこらで手に入る。

こんな幸せなことある?

多くを望まなければ、よっぽどのことがない限り、死ななくなった世界。

この幸福な世界は、何世代も前の人たちが、何百年もかけて、たくさんの犠牲を出しながら作り上げてきた世界。

あなたが何歳であろうと、多少の失敗をしたからといって、死なない。

たとえ1億円の借金をしても死なない。

だからチャレンジしてほしい。

大丈夫。

この世界は本当に、なかなか死なないから。

この世界が色を無くす前に。

あなたの瞳から、光が無くなるなる前に。

スポンサーリンク
むねたか広告_01
検索
むねたか広告_01
検索

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
むねたか広告_01
検索