[su_heading align=”left” size=”20″ class=”su-heading-custom”]37年ぶりの東京[/su_heading]
母は大分県の商業高校を卒業して、当時は一般的だった集団就職で、上京した。東京駅八重洲口のキヨスクや汽車内の売り子3~4年して、20代前半で13歳年上の男性と結婚する。それが私のお父さん・・・ではなく、それは、兄貴のお父さんだ。
母が28歳のとき、兄貴が生まれる。東京での結婚生活は金銭的に厳しく、母は、旦那と別れて、兄貴を連れて東京へ戻る決意をする。母32歳、兄貴が3歳のときである。
それから母は再婚し、39歳で私を生む・・・。
今年の1月頃に、母の弟、つまり私の叔父さんから電話があった。娘のNが結婚式を東京で行うので来て欲しいという内容だった。Nちゃんは、私から見ればいとこ、おかんから見れば姪っ子。
それから、兄と母と私の3人での東京旅行が決まった。早速グループラインを作り、兄貴が率先してスケジュールを組んでくれ、ホテルも手配してくれた。母が東京をじっくり観光するなんて37年ぶりである。今回のミッションをまとめてみた。
<今回のミッション>
・Nちゃんの結婚式に参列
・スカイツリーに登る
・落語を見る
・歌舞伎を見る
・もんじゃ焼きをたべる
・浅草で天丼をたべる
・築地に行く
・横浜に行って37年ぶりに元旦那に会う
メインイベントはもちろん「Nちゃんの結婚式」なのだが、もう一つの大きなイベントがあった。それは、現在横浜にいる元旦那に3に会うこと。兄貴はときどき会って、一緒に飯を食ってたらしいが、おかんは別れてから37年間一度も会っていない。せっかく東京に行くのだし、お互い高齢だから一度会っておこうという話になった。
こうして「母の上京物語」が始まった。
[su_heading align=”left” size=”20″ class=”su-heading-custom”]10月20日(1日目)[/su_heading]
おかんは大分空港、兄貴は長崎空港、私は那覇空港から、羽田空港に集合した。私と兄貴は早めに着いたので、立ち食いそば「あずみ」で腹ごしらえ、500円の蕎麦は柚子の皮がのったさっぱりとした汁で美味かった。
兄貴は現在41歳、責任感が強くて、とにかく優しくて真面目な公務員。身長は私よりも低いが私よりも目鼻立ちがはっきりしていて、私より少しだけ男前である。私は正月もお盆もろくに帰らないので、一年ぶりの再会だ。1年前にポコっとお腹が出ていて「デブ!」と言ったのが、結構効いたのか、今回はお腹の肉はほとんどなくなっていた。本人曰く「この歳になると、痩せるためには、かなりの努力が必要」らしい。10キロ太った私をみて、とても驚いていた。
母は14:30ごろ到着口から出てきた。1年ぶりの再会。ここ最近急に痩せたらしい。年々小さくなっていく姿をみて、少し切なくなった。
地下鉄で、スーパーホテル亀戸へ。明日の披露宴会場まで歩いて5分ほど。ホテル選びは兄貴に任せたが素晴らしい立地だった。荷物を置いて、さっそくスカイツリーへ。台風21号が沖縄あたりに来ていて、天気は悪かったが、かろうじて雨も降らず、雲も厚くなかった。
[su_heading align=”left” size=”20″ class=”su-heading-custom”]スカイツリーで誕生日の人は・・・[/su_heading]
私もスカイツリーに登るのは初めてだった。受付で説明を聞いていると、カウンターに「お誕生月のお客様にはステッカーをプレゼント!」という文字を見つけた。母が10月24日の誕生日だということを受付に伝えると、可愛らしいソラカラちゃんのステッカーをもらった。母の胸にステッカーを貼った。母は「なんか幼稚園生みたいで恥ずかしいわー!」と言っていた。
空いていたので、すぐにエレベーターに乗って、350メートルに行けた。いく先々でスタッフに「お誕生日おめでとうございます!」と大きな声で言われて、母はとても恥ずかしそうだった。その光景をみて私は兄貴とゲラゲラ笑ってた。
350メートルから見下ろす東京は、ジオラマみたいだった。街は日没に向けて色を変えつつあった。道路は車のヘッドライトであかくなり、ビルは所々で光り始めていた。
「このひとつひとつの建物に何百もの人がいて、それぞれの人生がある。そう考えるとなんだか途方もなくて、気持ち悪くなってくる。」と兄貴は話した。
ちょうどタイミングよく16:30から15分だけ、ソラカラちゃんが出没することを知ったので探し回り発見した。母の胸のお誕生日のステッカーを見るなりバースデイカードをくれた。
一緒に写真も撮ってくれた。ソラカラちゃんはハロウィンの特別コスチュームだったのでこれはレアだと思った。
とにかく東京は外国人が多かった。スカイツリーでもその辺の人に写真をお願いすると、大抵外国人だった。ある男性は、なんとなく台湾人ぽかったので中国語で話しかけて見ると、高雄の人だった。
37年前は、外国人はとても少なくて珍しかったと母はいう。5年前よく出張で東京に来ていた兄も、数年前とは全然違うと驚いていた。
お決まりの「ガラス床」も体験した。
[su_heading align=”left” size=”20″ class=”su-heading-custom”]2000円の海老天丼[/su_heading]
地上に降りると雨が降っていた。私たちは次の任務「浅草の天丼」と「演芸ホールの落語」のため、タクシーを捕まえ浅草雷門へ向かった。タクシーを降りたところにあった「浅草観光センター」で、天丼の超有名店への道を聞き、仲見世通りを通りながら向かった。
店内には外国人がたくさんいた。海老天丼を3つ頼んだ。2000円の海老天丼は、見たこともないくらい真っ黒だった。食べてみると、塩辛かった。とてもおいしいと言えるものではなかった。たぶん関東の味と九州の味は違うんだろうなぁと思うことで自分を納得させた。母は、黒い!苦い!塩辛い!不味い!高い!失敗した!と連呼していた。「これもまた旅の一興なのだよ」となだめた。天丼てんやにしとけばよかった・・・。
[su_heading align=”left” size=”20″ class=”su-heading-custom”]落語をみよう[/su_heading]
もう帰るとグズる母を引っ張りながら、演芸ホールへ向かった。
受付の人に聞くと、19:00から入れるということなので向かいのドンキで飲み物を買って待つことにした。雨がだんだん強くなってきた。
演芸ホールの中は、テレビで見るのと全く同じ感じだった。真ん中に紫の座布団、左に演目が書かれた紙が立っている。まだ高校生くらいの男の子がトコトコっと出てきた。会場を一瞥してペラリと演目をめくる。また帰り際にチラリとこちらをみて、袖に去っていく。その姿がなんとも可愛かった。
はじめの落語家は、声が大きくネタもわかりやすかったので、とても好きだった。次のおじいさんは、声が小さくて、話し方も暗かったので、少し眠くなった。そのあと、傘で鞠を回したりする大道芸があった。1時間くらいたったところで出た。客は基本おじいさんで、時々仕事帰りのサラリーマンや、若い女性がいた。私たちの列の左側にいた若い女性がとても大きな声で笑っていたので、おかんは落語を見ずに、ずっとその女性を見て、笑っていた。おかんは本筋とは関係ないところが気になってしまうと、ずっとそればかりを気にしてしまう。ひとことで言うと、集中力がないのだ。
スーパーホテルに戻ると、兄貴と少し話して寝た。とてもグッスリ眠れた。初めてスーパーホテルに泊まったが、ビジネスホテルとは思えない丁寧な接客にまず驚いた。そして自分の好きな枕を選べるところも気に入った。エコなホテルというテーマも面白いと思った。経営者の本がロビーにあったので即購入して読んだ。
しばらく兄貴とくっちゃべって24:00には寝た。